2018年6月22日、国土交通省がまとめた自動運転車の安全要件に関するガイドラインの全容が明らかになったと日経新聞が一面で取り上げた。
「レベル4」で自動運転が続けられなくなった際に、乗員に自動運転停止を通知することを義務付けるもの。高いレベルでの自動運転については、国際基準はまだなく、いち早くガイドラインを作り日本が国際議論の主導権をとるとのこと。
しかし、残念ながら、自動車産業でものづくりを極めた日本において、自動運転化への取り組みは実際には、諸外国に比べて遅れている。
自動車産業は、今、大きな変化への対応を余儀なくされている。
安全性向上、環境対応、電動化(EV)、シェアリングエコノミー、中でも自動運転は、これからの自動車産業にとって、最大の競争軸となるものだろう。
その中でも衝突回避の自動ブレーキングシステムや、高速道路での自動追尾などの運転者を支援するレベルの話と、完全自動運転では技術的なハードルが全く違い、既存の自動車会社のやってきたこととは別次元、いわゆるIT産業のAI(人工知能)をどう組み入れるか、又、実環境のビックデータをどう取り込むかといった、IT産業との融合が鍵になるだろう。
個人的には、「自動車」という名前は、「自動で走る車」という意味でとらえるなら、完全自動走行を実現して、初めて「自動車」になるのではないだろうか。
100年前、馬車から自動車への置き換えが起きたように、単なる車から「自動車」(=完全自動運転)になることを願ってやまない。
いわゆる、ゼロフェイタリティー(無事故)の時代だ。
問題は、「それがいつくるか?」だ。
様々な技術的な課題、規制の課題、そして、人間自身が完全自動をどこまで受け入れるか 大きく議論するべき点があるだろう。
もちろん、ドライバーは、運転を楽しむことができる。(ただし、それは、自動車自身が常にドライバーの走行を見守っている中ということになると思う。)
私が小学生の時代、自転車に乗っていたときに事故にあった。中年女性ドライバーが運転する車の駐車場からの飛び出し(一時停止をせず)によるものだった。幸運にも大惨事にはならず、こうしてこの記事をかけていることを感謝する。この事例では、衝突回避が自動にできていれば、現在の車でも避けられたかもしれない。が、私が望むのは、完全自動車だ。
2000年初頭の頃だったか、モーターショーに行ったとき、初めて前方衝突回避システムが展示されるのをみた。あの時から、技術的には自動運手はできるが、実際に実用化は2050年頃では?と予想されていたと記憶している。その当時から、私は、自動運転の話を周りの人に話たが、当時は笑われた(SFの見過ぎだと)。今なら、話をしても、笑われはしないだろう。そう、この分野は、マイクロチップの性能向上による画像認識技術の向上等により、急速に歩を進めているのである。
その近未来の現実を、これからお伝えしていきたいと思う。